Interview vol.1 長谷川啓/治療家・楽器作家・木こり


肉体的労働を支える、人力と人智。


長谷川さんはこの数年、木こりとして林業にも携わられていますが、山を歩き樹木と対峙しての作業は、肉体的にも相当な重労働ですよね。

 そりゃもう、毎日クッタクタだよ!(笑)もちろん、どんな職業であっても体は常にその仕事なりに使っているんだけどね。オフィスワークであっても、PC画面を見てキーボードを打って…長時間じっと座って労働をしているわけで。だから、休日など解放された時に「運動したい!」とジムやクライミングへ行ってリフレッシュしたくなるのでしょう。でも、毎日山で肉体を使って仕事をしている人は、休みの日には「ゆっくりしたい」ただそれだけ(笑)。

そうなりますよね(笑)。作業で重機などは使わないんですか?

 木材の運び出しには使うけれど、間伐作業では基本的に使わないですね。全て人の手作業。皆さんが「自然はいいなーあ」と眺めている山の奥では、人がチェンソーをブン回し、ドカーン!ドカーン!と木を切り倒して作業しています(笑)。

なるほど。木こりの伝統的な伐採方法ってあるんですか?

 伝統的なやり方もあるにはあるけれど、これも時代とともに変わっていくもので、職人の世界というのは伝統をただ守っていても仕方がない。効率とコストを考慮して、最善の方法でやらなければ仕事にならないからね。

社会の生産活動の変化とともに、たとえば薪を背負うとか農耕的な労働などは、都市部中心の暮らしの中で失われゆく動作となりつつあります。「生きる」ということは働く動作のつながりだと考えると、仕事によって自分の体の向き合い方も変わってきますよね。

 体の使い方を考える時、「スポーツ的身体」と「労働的身体」のあり方の違いって決定的にあるなと思います。自分のスポーツ経験からの価値観・身体感覚では「頑張る!頑張れ!頑張ればいい!」だったけど、いやいや職業としてはそんなに頑張ったら潰れるから。一生現役で仕事がしたければ、「いかにがんばらないか」なんだよね。

 カヤックで世界の海を旅して巡った日本人冒険家が「大海原で頑張ったらダメ!全力を出したら死ぬ」と語っていましたが、ああ一緒だなあと思いました。
 一方スポーツビジネスは、全力を出し切って頑張らないと、頂点には立てない。ほんの一握りの頑張り抜いた人のみが職業として成立することはある。でも、誰も彼もがそこを目指したって、およそ到達はできないし、疲労困憊するだけ。

肉体的にハードな現場であるからこそ、省エネ的な体の使い方が必要になるんですね。

 そうそう、エコモードってやつね(笑)。世界的にトップレベルのアスリートの動きって、得点とは別の視点で、極めて澱みなく無駄なく、軽やかで美しいじゃないですか。仕事の姿というのもやはり、純度が上がれば上がるほど合理有利でないと成立しないものかなって思います。
 「頑張る」=頑なに張っても、それを上回る強さが来たら切れてしまいかねない。むしろ何がいつ来ても「いなせる、逃がせる、かわせる」というスタンスでないと、リアルな現場では生き残れない。こればかりは知識として知っていてもどうにもならなくて、体感していないと力は発揮できないんですよ。

これはオンラインワークでは味わえない感覚、手応えですよね。

 ほんと、そう。自分にとって山は修行の場で、山にこもって武者修行をしていた昔の兵法者(武芸の達人)みたいなね(笑)。木こりになって起きたいちばんの変化は、人の体のバランスを見る能力が飛躍的に上がったことかな。いま目の前にある木の“なり(状態)”を見て、重心がどこにあり、どの方向に倒すか。倒した先の運搬処理まで先読みし、どちらに倒すのがいいか、全体の工程上どう切り進んでいくのがベターか。下手をすると人命にもかかわりかねない仕事だけに、その読みはとても大切なことです。
 山では日々、これは樹木を相手にした武術だなあと実感させられる。切ってぐわあっと大きく揺れたと同時に、予想もしなかった根元がこちら側に盛り上がってきたり。幸い咄嗟に避けられたんだけど、その時は「ああ、カポエイラやっていてよかった!」と思ったよね(笑)。
 木に襲われる、舐めるとやられる、と言うけれど、木は切られたように倒れるだけで、失敗はこちらの見立て、見極めの問題。しくじった原因は自分にある。その先に待っているのは…結局自分たちの超重労働でしょ。「もう金輪際そんな目には遭いたくない!」というぐらいのリアルを突きつけられないと、なかなか人は学ばないですね(笑)。

Next 意識空間の社会に、「循環」を取り戻す。

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