Interview vol.3 小岩 秀太郎/(公社)全日本郷土芸能協会常務理事・郷土芸能「鹿踊(ししおどり)」伝承者


震災が再び、祭りや祈りの尊さを蘇らせた。


里神楽や獅子舞といった郷土芸能には、もともと農耕の豊作祈願や自然信仰など、土地とのつながりが根底にありますが、岩手の鹿踊は何を目的として伝承されてきたものですか?

 僕の故郷の鹿踊は、神社信仰というよりは、新盆・初盆の家や寺を訪れ、位牌前で踊り、歌い、一緒に泣いたりごはんを食べたりする供養が本来のものです。

 起源には諸説ありますが、鹿踊の「しし」というのは、かつて中国やペルシャから伝来した獅子舞の「獅子」とは発音は同じでも別の由来で、やまとことばで「いのしし」や「か(鹿)のしし」といった“食べる肉”を意味していたのだと思います。食べるために殺すことに対しての“有り難さ”や鎮魂が、やがて人の供養へと変遷していったのでしょうね。

そうした風習から、現代においては地方の郷土芸能や文化が主に観光資源的に扱われるようになっていった流れもありましたが、2011年の東日本大震災を機にその意味合いが変わったりはしましたか?

 やっぱり大きく変わってきましたね。僕も震災前までは、民俗芸能や伝統芸能というものはまず観てもらってなんぼ、後継者も減少する中、知られなければこれ以上増えようがないと思い、いろいろなイベント企画や海外派遣にもかなり力を入れてきました。

 それが震災以降は、地域の人たちが必然的に地元の芸能や祭りを中心に集まったり、それを復興の原動力とするような“地域の柱となるもの”という意識へと変わってきた。何より亡くなった方も非常に多かったですし、そのために踊り弔うという「鎮魂」の思いもより強まりました。それまで観光として不特定の方たちに向け踊って喜んでもらっていたものが、ある意味元来のお盆供養に立ち返っていったんです。

 もちろん、弔った後は皆で酒も酌み交わしますけどね。家族や友人を失ったり、日々瓦礫の撤去に明け暮れて、酒を飲んで騒ぐということもおおっぴらにはできず、誰もが暗い気持ちでいましたから。祭りが集まって呑む口実にもなったし、そうした唯一の楽しみとしての役目も芸能にはあったと思います。

生きる支えとしての郷土芸能に、再び土地とつながる本来の意味が見出されたということですね。

 はい。ただ、東北の郷土芸能は震災によって見直されはしたのですが、だからと言ってこの10年で継承者が増えたかというと、そうではなかった。後継者となり得る若い住民が、その土地に既にいなくなっていましたし。たとえ集まる場所があったとしても、後継者を見つけ出すことすら難しくなっていました。

 そんな折、2014年から始まった『三陸国際芸術祭(サンフェス)』など、アーティスト・イン・レジデンスという形で地方の芸能を学びにアーティストが来てくれたり、地域以外から「関わりたい」という声も増えてきたんです。

 芸能と身体表現でつながるコンテンポラリーダンサーなど、外部のアーティストが地域住民とともに創作や上演を行うなど交流の機会が動き始めた矢先、今度はコロナ禍に…。東北に訪れ、直に活動に加わることが断たれてしまった。  震災10年を経て東北が次のステージへと進み、内外を問わず一緒に踊ったり、芸能と創作を結ぶ新たな活動を確立していけるタイミングで、その勢いが削がれた感じでした。

Next 次世代がリアルに求めるフィジカルな体験感覚。

1 2 3 4