Interview vol.2 吉田すみれ/すみれ農園 園主


都会暮らしを経験して感じ得たこと。


新卒で上京し、そんな刺激的な環境でエンジョイしていたすみれさんが、再び合馬にUターンして農業をやろうと決心するまでのいきさつは?

実家は三世帯で暮らすほどの大家族で、私は一人娘やし、いずれは自分が後継ぎにならんといけんのやろなーとは思っていました。そうなると、就職というきっかけがない限り、私は一生この土地から出るチャンスなんてないかも!?と考え、せっかくならいろいろなカルチャーが集まってる東京へ行こう!と。いろいろと吸収してから合馬に戻ろうという“期間限定”の都会生活でした。

 3年目の頃、じいちゃんが亡くなり、ばあちゃんのことも心配だったので、「そろそろ帰ろっかな」と思ったのがきっかけです。

 東京での生活は充実していたんやけど、遊んだり旅行やおいしいものを食べに行ったりと、都会で楽しむには結局お金が要るんですよね。そのためには“稼ぎ続けなくてはいけない”わけで。働いていれば当然お金は入るけど、「人生の歩み方としてこれでいいのだろうか?」と考えるようになり、そこに満足感を得なくなってきていたんです。 

 ただ、田舎に戻ってもすぐに農業をやろうと思っていたわけではなく。アーティストやクリエイティブ系の若い人達と関われて、合馬に呼び込めるようなルート作りはしていきたいなと考えていました。

都会で経験したことやつながりを、何かしら地元での暮らしや生き方につなげていこうと考える中、未経経験だった就農へと舵を切った理由は何でしたか?

 いきなりな感じですよね(笑)。もともと食への好奇心は旺盛な方で、海外旅行や留学時はちょっと変わったものでも積極的にチャレンジする方でした。なにしろ東京は世界各国の料理が楽しめるところ。レストランでは目新しい食材と出会えるなど、味覚の幅の広さ、豊かさが田舎とはまったく違う環境でした。
 いちばんのカルチャーショックは、職場に普通にベジタリアンの外国人がいたり、ビーガン系の飲食店も多く、オーガニックなスーパーや週末のファーマーズマーケットなどでは、いろいろな変わった野菜が売られていて、皆少し高値でも喜んで買っていくこと。田舎ではキャベツやほうれん草、小松菜など昔からある普通の野菜がほとんどやけね、野菜へのイメージが大きく変わりました。生産者さんから直接買う野菜は新鮮だし、話を聞いて「いいね!」と納得して選べることも魅力でしたね。

 東京で流行ったものは数年後に地方へも流れていくので、「九州でまだあまり作られていないニッチな野菜を作ったら、ニーズがあるかも!私にもチャンスがあるかも!」とひらめいたことが発端となって、農業やろう!と決めました。

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